国宝「浄土寺」

歴史のある街 浄土寺を歩く 

 小野市は、播磨内陸部の文化の中心地として発達し、人びとが守り続けてきた歴史を感じる遺跡、文化財が数多く残されています。また、現在の地名には「播磨国風土記」に記述された名を受け継いだものがあり、ときの歩みの片鱗を身近に感じさせてくれます。平安時代末から室町時代にかけて、小野市の中心部は奈良東大寺の荘園大部荘に属していたため、経済的な拠点として重要な役割を果たしてきました。治承4年(1180)に平家の焼き討ちで東大寺は焼失。その再建にあたり勧進職として活躍した重源上人はこの荘園を視察し、東大寺再建の経済的基盤として小野市浄谷町に浄土寺を建立しました。
 八幡信仰及び浄土思想を重んじた重源の意志のもとに建てられた浄土寺は、その伽藍配置自体が数少ない貴重な文化財となっています。
 国宝浄土堂は、宝形造り、本瓦葺きの東大寺南大門と並ぶ純粋に近い大仏様(天竺様)建築。堂内には、円形須弥檀上の雲座の上に高さ5.3mの阿弥陀如来像が立っています。両脇には高さ3.7mの観音勢至菩薩が配され、いずれも鎌倉時代の有名な仏師快慶の作品です。張りのある若々しい面貌や鋭い眼差しなどは中国の宋時代の様式を彷彿させます。
 浄土堂の背面にあたる四側は、壁を開放できる蔀戸になっており、夕日が差し込むと後光として輝き、三尊が堂内に浮かび上がったように見えます。この建築様式により、西方浄土から現世に来迎する仏たちの姿が動的に表現されて宗教的演出効果の多彩な堂宇として、まさしく浄土堂の名にふさわしい建物となっています。
 浄土堂と向かい合わせて建てられている薬師堂は、現在、浄土寺の本堂となっています。室町時代に焼失後、再建されましたが、大仏様に和様と唐様が折りなされ、この時期の折衷様式を示す国の重要文化財になっています。
このほか、境内には重源上人の像を安置している開山堂や、本瓦葺き入母屋造り袴腰付きの鐘楼、本地垂迹説に基づいて配された鎮守社、八幡神社の本殿、拝殿、それに俳人松尾芭蕉を讃えるために建立された句碑や、石造蔓陀羅板碑、地蔵像板碑があり、これらひとつひとつの文化財が浄土寺を訪れる人びとを遠い歴史の舞台へと誘ってくれます。

 

 

 

 

浄土寺住職に聞く

 浄土寺を訪れた人に一番拝観してほしいものは、やっぱり国宝の浄土堂と阿弥陀三尊様ですね。戦前は、遠く加古郡、明石郡の方からも沢山の人が先祖供養に来られていました。今でも、「ありがたい仏様にお会いできた」と感動されている人をみると私自身も嬉しくなります。その像の立ち姿は圧巻ですが、歴史的背景も価値あるもので、学識経験者や学校関係者の方も訪ねて来られます。今の世の中は物質的に満たされているせいか、人はもっと精神的な豊かさを求めているように思います。その思いが先祖を思う気持ちになればいいことだと思いますね。
 多くの人の信仰が集まった浄土寺を守るため、一帯を保存地区にしてもらい、美しい景観を失わないようにしたいです。池の周辺に高い建物が立つというだけで、「西日のご来光」が拝めなくなってしまうのですから。この優雅な風情をずっと大切に、市の、そして国の宝である浄土寺を、このままの姿で守り続けたいと思います。

 


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